幸田露伴 努力論

こんばんは。けんちゃんです。今回は幸田露伴の「努力論」を読みました。夜の時間に青空文庫で読みました。呼んでいるうちに以前呼んだ事があった事に気づきました。本屋さんで立ち読みした記憶があります。その時に印象的だった言葉を思い出す事ができました。意外と覚えてることにびっくりしました。呼んだことが少しでも自分の体内に入っていることがわかってほっこりとしました。文章を引用して話す時にどのようにしたらいいか、番号を振って後から感想を書けばいい。でもそれじゃあ著作権に引っ掛かるのではないか。再shそにリストアぷうして分がおおうy王に水に、番号を振ってその都度ジブbんの感想をたくさん書けばいい。①…芸術は天上世界に遊ぶもの美睡の頭脳中から自然に生ずるものかもしれない、当面の努力だけで、必ず努力の好結果がえ霰r8ああらが、下手の横好きという諺は世に存在しないことだろう…②努力して努力する、それは真の良いものではない。努力を忘れて努力する、それが真の良いものである。しかしその境地に至るには愛か捨かを体得しなければならない。今自分は記事を書いているが、努力という感じではない。毎日やっているものを、酒を飲みにいくからといって、やらないのが気持ち悪いのだ。楽しいからという気持ちも風船が膨らむように、少しずつ大きくなってきている。だが、これがいうのかがわからない。人から見ても楽しんでいるだけだと思われるだろう。何か絶対に人がやりたがらないことを、自分が好きでやる事ができれば最強だと思う。ぼくの場合文字を書いたり、本を読んだりするのは、ただの道楽にしか過ぎないのだ。だから、それをやっているからと言っても、何も凄くないし、えらいものでもない。ゴミ拾いとか、掃除などを好きでやる人はすごいと思う。そんなに大変な仕事なのに、なぜお給料が一番高くないのだろうか。もっと人が嫌がることで、自分が好きなものはないものだろうか。まあもう探している場合でもない。自分が好きな、読書、物書き、旅、B’z、お笑いを極めていこうと思う。③注意深い観察者となって世の中を見渡すことは最良の教えを得る道である。…我々は一大教訓を得る…それは即ち幸運を引き出すことの出来る綱は之を引く者の掌に流血を滴らせ、不運を引き出すべき綱は滑らかで柔らかなものであるという事実である。即ち幸運を引き出す人は常に自分を責め、自分の掌から紅血を滴らし、そして耐え難い苦痛を忍んでその綱を引き動かして、終に大きな体躯の幸福の神を招至するのである。人の悪口は聞きたくない。そんなことを言っていても、他人は変えることはできない。自分を責めて自分を変えるしかないのだ。自分が悪者になってはいけない。自分の中の、かっこいいと思う基準をもとに自分の行動を変えていけばいい。どうしても、曲げられないものを曲げるしか、その人と友好な関係を結ぶ事ができないのなら、そのひとを避けてもいいかもしれない。

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