こんばんは。けんちゃんです。今回はS・モームの「月と六ペンス」を読みました。最初は読みにくく感じ、読み切ることができるかなと、心配だったのですが、読み進めていくとドロっとした面白い部分に出会いました。胸が苦しくなる部分が多かったです。人間同士との付き合いは簡単なものではなく、頭で理解できないこともある。しかし、それでも関係が続き、楽しい時間を共有することもできることを感じました。ぼくは友人との付き合い方に悩んでいたのですが、この本を読んだ後は、相手にひどいことをしてしまっても、ちょっとやそっとでは友人関係は壊れたりしないと、変に小さくならずに済みました。救ってくれた本と言えます。友人関係に悩んでいる方におすすめの本です。。
感動した文章と感じたこと
①「もし仮にぼくが人もすまない島にいて、自分の書いたものは自分以外の誰の目にも絶対に触れないという場合、果たして書けるか怪しいな」S・モーム 月と六ペンス p108から引用。
ぼくはどうだろうか。全く人が読まないと思ったら、ブログを書くことはなくなると思うが、紙に自分の頭の中のことを書くことはやめないと思う。それは自分のためだから。自分一人だったら、自分の行動を改めることは必要がなくなるのではないかと思う。服もなんだっていいし、髪型もなんだっていいし、朝も起きなくなるのではないか。最近人と会う機会が減ったので、服を買いたいという気持ちがなくなった。世間体を気にせず、自分の欲しいものだけを買うと決心した。しかし、本当に自分以外がいなくなってしまったら欲しくなるものなんてあるのだろうか。旅をするのも、その思い出を誰かに話して得意げになりたかったからではないのか。読書をするのも、自分がかっこいいと思われたいからなのではないか。自分が生きている時間を無駄にしていないという証明が欲しいと感じている。命の証が欲しいのだ。他人が一人もいなくなった時に、自分がやりたくことをするのが、本当に楽しいことなのだろうか。一人になった時にやりたいことは、美味しいものを食べること、寝ること、音楽を聞くこと、ギターを弾くこと、散歩をすること、誰かと会ってお話をすること。本当に結婚したいのかとも考えてしまう。本当に働きたいのだろうか。人のために何かすることも幸せなことではないのか。いくら想像しても、無人島に一人の時に本当にやりたいことが浮かんでこない。旅館に一人っきりになってみようかと思った。
②「ふだんより激しい喧嘩をした後なので、もう金輪際彼と付き合わぬと決心していたからであった。もう我慢がならない、二度とあんな奴と口を聞くもんかと誓っていた。しかしクリスマスという時期が彼をほろりと優しい気持ちにさせていたので、友がクリスマスの日、ひとりぼっちで過ごすのかと思うとたまらなかった。そこで、仲直りすることにキッパリと心を決めたから、立ち会いの席に私にも立ち会ってもらいたいというのだった。」p120から引用。
ぼくも二度と会いたくないと思った友人がいたが、次の日にはもう会いたくなっていた。そうなるなら、最初から素直に会いたい気持ちだけを伝えればいいのに、どうしてもうまくいかない。心と言葉が裏腹になっちゃう。こんなこと何遍繰り返すの(B’z:ゆるぎないものひとつ)。その友人に「そんなに私にムカつくことが多いのに、よく会う気になるね」と呆れられてしまった。面白い人だ。
③「もしあなたが病気になったとしたら、あなたを助けるためにあの人が指一本でも動かすと思っていらっしゃるの。だが、そんなことはどうでもいいじゃないか。オレにはお前というものがいて看病してくれるだろう。あいつの助けなんかいらないよ。それに、オレの場合は違うんだ、オレは偉くもなんともないからな」p128から引用。
この文章を読んだ瞬間は感動したが、後にこの人物が不幸になるのを見て、こんなに無性の愛を注ぐ人もどうなのかと思った。助けてくれない人をいつでも助けてあげるのは非常に難しい。その人にとんでもない魅力を見出さなくてはならない。ぼく自身の環境にも、抜けている人がいて、その人を自分がいつも助けてあげていると感じている人がいる(自分が勝手に思っているだけで、本当はどうかあわからないが)。何度も彼を助けているうちに、「なんでいつも俺ばっかり助けてあげないといけないんだよ」と呆れてしまうことがある。しかし、助けているのは私が勝手にやっていることなのだ。自分がそうしたくてやっているだけで、彼に助けを求められたわけではない。勝手に助けておいて、その見返りを求めてしまってはいけないと気づいた。こちらが好意で行動するときは、完全に見返りを求めずに行動しなければならない。見返りを求めようとするくらいなら、彼が困っていても放っていた方がいいのだ。そして、見返りを求めた行動は、その本意が透けて見えて気持ち悪いものになってしまうと思う。いつも合理的に行動している人は、どんな行動も打算的にしているのではないのか、と周りの人に思われてしまうのではないか。たまには無駄なことをする様子を見せつけなければならない。自分は打算的な人だと思われしまうことが多いと思う。
④「でも、オレはストリックランドみたいにはなりたくない。例え芸術の才能の芽が開いたとしても」
「おれが女房を愛したように、女房からも愛されようなんて、とても望めないことだからね。オレは道化者だ。女から愛されるタチの男じゃない。そのことはいつも心得ている。だから女房がストリックランドを愛するようになっても文句は言えない」
「愛されていても、自分は愛していない男に対する女の仕打ちほど、残忍なものはない。そうなるともう女は親切心など全然なくなる」
「世の中は冷酷なところだ。我々がなぜここにいるのか、だれもわからないし、我々がどこへいくのか、だれもわからない。我々は非常に謙虚でなければならない。静かなものの中に美を見出さなければならない。我々は人生をうんと目立たないように過ごして、運命の女神に気づかれないようにしなければならない。そうして、単純な無知な人々の愛を求めよう。彼らの無知は我々の知識の全てより尊い。我々はささやかな片隅で黙って満足していよう、彼らのようにおとなしく優しくしよう。これが人生訓だよ。…だが私には、これは彼の失意の魂が語っているように思えたので、彼の諦観に反撥を感じた。しかし私の意見は胸に納めておいた。」p178から引用。
こんなに自分の立場を低くする必要があるのだろうか。わがままに自分の気持ちを押し付けてはいけないのだろうか。なぜ謙虚でいなければならないのだろう。なぜB’zの謙虚さに惹かれるのだろう。謙虚にするのは自分の保身のためではないのか。AIと話してみると違った。謙虚でないと、人から助けてもらうことができない。信頼を得にくいと思う。自分の行動を反省することがないため、偏った凝り固まった考えになってしまう。なぜ固まった考えでダメかというと。自分が変化することができなくなってしまう。ぼくは変化していきたい。久しぶりに会った人に変わったねと言われたい。自分の成長というか、変化のために謙虚さは必要なんだ。
⑤「おれには愛なんかいらない。そんな暇はないんだ。愛は弱さだ。おれは男だから、時には女が欲しい。情欲を満足させてしまえば、もう他のことしか考えない。おれは欲望には勝てん。だが憎んでいる。おれの精神を束縛するからな。おれは全ての欲望から解放されて、仕事一本に打ち込めるようになる日が待ち遠しい。なぜって、女は愛する以外に能がない。愛というものを馬鹿馬鹿しいほど重要だと考えている。それが人生の全てなどと男に思い込ませようとする。愛なんてくだらんものさ。肉欲ならおれにもわかる。それが正常な健康なものさ。だが愛なんて病気だ。女はおれの快楽の道具だ。女どもが内助者だの、協力者だの、伴侶だのになりたがるのには我慢がならんのだ」p201から引用。
こんな考えになってしまったら、もう結婚なんて無理になってしまうのではないか。今は確かに愛よりも自分の活動がしたい。しかし、たまには人肌が恋しくなる。雪がパラパラとふるこの季節はなおさらだ。元から子孫を繁栄させたいという欲望がなければ、もっと創作したいという欲望は大きくなったのだろうか。それとも愛というものの力から、何かを表現したいという欲望が発するのだろうか。〈フロイトは芸術や文化的な創造はリピドー(性的エネルギー)が形を変えた、昇華したものだと考えた。創作は形を変えた子孫(自分の分身)を残す行為〉ぼくが娘が欲しいと思ったり、物書きをして作品を残したいと考えるのは、自分がいつか死ぬことへの恐怖があるからなのかもしれない。何も残さないで死にたくない。生まれてきた意味がないと思ってしまう。自分が表現したいのは、自分だけの反応。だから、自分の身に起きた生理的な現象や記憶を言葉にしてみよう。
⑥「女は男を愛すると、その魂を掴んでしまうまでは満足しない。なぜなら女は弱いから、支配することを渇望する、それ以下のものでは満足しないのだ。女は心が狭いから、自分が捉えることのできない抽象的なものを憎悪する。物質的なことで頭がいっぱいだから、観念的なものに嫉妬する。男の魂は宇宙の果を彷徨っているのに、女は自分の家計簿の領域に閉じ込めようとする。」p201から引用。
逆なのではないかと思った。女の人の方が抽象的なものをうまく捉えて感じていて、男が支配することを渇望しているのでは、と思った。男の魂は宇宙を彷徨っているのだろうか。彷徨えているのだろうか。ぼくは彷徨っていたい。まだ何かの領域に閉じ込められたくはない。しかし、会社、労働という枠に縛りつけられ始めている。この収入を手放したくはないし、これから年齢とともに収入が上がっていくとすると、年数が経つにつれどんどんとやめられなくなってしまう。ニコチンなんかとは比べ物にならない中毒性だ。やめるならば今なんだ。ただ、やめる理由がない。やめて一日の時間を全て読書や物書きに集中させることができるかと言われても、そうではないと思う。仕事が終わって帰って来てからの時間で、最大限に集中して作業すれば、仕事で消費してしまった時間を取り戻せると思う。仕事はお金がもらえる気分転換だと思えばいいんだ。だからその分、会社にいる間の少しの隙間時間に、読書や物書きをする必要がある。
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