日記

こんばんは。けんちゃんです。今週も自分が何をやってきたのか忘れないために日記を書いていきます。

11月11日

読書が楽しい。バスの移動時間、会社のお昼休憩の時、図書館にいる時、自習スペースにいる時、家に帰ってベッドに入った時、こんな時間に読書する事ができている。最近は、丸谷才一さん、高橋和己さんのエッセイが面白くて仕方がない。人の考えを読むのが好きなのだ。小説も好きになってきたが、まだエッセイや哲学など実用書を好む傾向がある。神田神保町の古本屋さんで本を買った時に、旺文社という出版社に出会った。(1987年に小説レーベルである旺文社文庫は廃刊になってしまっている。現在は古本屋さんんで買うしかない。そこが魅力の一つである)他の時間ももっと読書の時間を取れるのではないか。まず、ずっと見ているのは疲れてしまうから、時間を細切れにして、何度も読むのが自分にあっている。まず、勿体無い時間をあげる。朝の家からバス停までの時間、家に帰って夜ご飯を食べた後、お風呂の時間、寝て朝起きた時である。この時間を有効に使うためには、歩きながら本を読む、寝て起きてすぐに本を読む習慣を作る、朝起きてそのまま会社に行くというのは勿体無いからやめることが必要である。そのためには、まず、スマホで読みたい本を用意しておくこと、青空文庫で好きな本を用意する。ベネフィットアプリで本のサブスクにはいる。(入ろうと思ったのだが、大した本がなかった。青空文庫で探しておくしかない)朝起きて本を読むためには絶妙な時間に起きるしかない。15分くらい読めればいいから、7時40分にしよう。どうしても青空文庫を用意できない時には、NewsPicksを見るようにしよう。なぜ帰り道で見る気が起きないのか、寒いから。手を外に出したくないから、ぶつかるのが怖いから、明日も試してみて、ダメなら別のやり方を考える。

11月12日

今日は読書をたくさんする事ができた。昨日対策したことで帰り道でも読書をする事ができた。ただ、夜の時間が満足するものにできなかった。寝る前に読書をする事ができたのだが、二時過ぎに起きて読書をして、歯磨きをしようとしていたのだが、起きる事ができなかった。歯磨きをすることが、起きるトリガーとして全く機能しなかった。もう何回もベッドに入る前に歯磨きをしなかったことを後悔している。歯磨きをせずに寝ることで、ずっと気掛かりで眠りの質も低下してしまうのだ。これからはベッドにはいる前には、必ず歯磨きをするようにする。そして、なんで二時に起きた時に睡魔に勝てなかったのか。それは部屋がくらいことと、読みたい本をすぐそばにおいていなかっと事が原因だと考える。これを解決する方法を思いついた。ブルーライトが就寝前は良くないということを逆手に利用すればいいのだ。二時に起きた時に、見たい動画を用意しておいて、スマホの画面を見ることで目を覚ます。そして読書をしたり、ブログを書いたりすればいい。今日からの改善点をまとめると、ベッドをもっと灯りが届く位置におく、ベッドに入る前に歯磨きをする、近くに面白い本を置いておく、二時に起きた時に面白い動画を見るということだ。読書をしていない時間がもったいないように感じる用になってきた。今の時間を無駄にしたら、生涯でであることのできる文章が減ってしまうと思うのである。文章に毒されてきている。(嬉しい)もう一つは、読んだ本の感想文を書くことができていない。原因は読んだ後に、振り返る時間がない。解決策は、カバンの中と外で読んだ本と読んでない本を仕分ければいい。会社に行く前に、カバンの外側に読む本を置いておいて、少しでも読んだなら、内側に入れる。内側に入っている本は、振り返ってブログに書くまで、読んではいけないというシステムを作ればいい。家に帰ってからも同じで、読んだ本は右側、読む本は左側に置いておいて、次の日にその振り返りをしなければ本を読む進める事ができないことにする。そして、一冊読み終わった際には、本棚の上に置いておいて、土日に図書館に行くときにまとめて振り返るようにする。こうすれば、ブログの記事も増やす事ができるし、本の内容を心に留めておくこともできて、一石二鳥である。友人に手紙を書いた。三度書き直して、やっと完成させる事ができた。だが、本番のこんにちはの位置が気に入らなかった。最初の一文目で後悔した。もっと位置関係を考えなければならない。また、太いボールペンで書いたのもよくなかった。もっとスッキリした雰囲気を出したかった。ただ、今回は枠線を鉛筆で薄く引いたことで見違えるように綺麗になった。手紙というのは思ったよりも、時間も気持ちも込められているんだと、自分が書くようになって感じることができるようになった。中学校時代、女の子からお付き合いを申し出るお手紙をもらった事があった。ぼくは受け取らずに返してしまった。(なんて情のないやつなんだろうか)ずっとぼくが彼女に片思いをしていたのだが、いつからか彼女からの好意が大きくなり、ぼくはそれが嫌になってしまった。

11月13日

今日は同期に自分の悩みを相談した。それは「両親に会う頻度」のことだ。自分は今、やりたいことも明確にあるし、友人にも会いたい。そんな中で、あまり両親に会いたい時間はない(正常な成人男性の考えだと思うのだが)。それは、社会人になり、週に二日しか休みの日がないため、それを実家に帰るために使ってしまうのは勿体無いと思ってしまうのだ(平日の隙間時間や家に帰ってからの時間も、厳格に無駄にしないように過ごしているため、時間の価値が非常に上がっている)。簡単にいうと、自分のやりたいことにしか時間を使いたくないのだ。これは、ガキのわがままなのだろうか。自立するというのは、両親のことも考えて行動することをいうのか。今の自分にはできそうもない。わがままになってしまったのかもしれない。自分の気持ちを抑えて、会いに行かなければならないのだろうか。わからない。その同期に相談してみると、とても素敵な答えをくれた。それは「手紙を書く」ということだ。これは自分の好きなことでもあるし、会いにいく時間を無駄にすることもないし、会って嫌な思いをすることもない。これがいいと思った。よし!明日から描き始めてみよう。

学習室の隣の席で、女子高生が科学の問題集を解いている。「可哀想に、、」と思ってしまう。なぜなら、その子は楽しそうにやっていないからである。おそらく好きで勉強しているわけではないだろう。自分のいきたい大学も自分の気持ちを大切にした理由で決める事ができているのだろうか。ただ、みんな大学に入学するための勉強が嫌いなはずなのに、その中で成績がよく、偏差値の高い大学に入る生徒がいるのはなぜなんだろう。そういえば自分も今、仕事をするのは別に好きではないが、毎日生き続けている。これはなぜなんだろう。考えてみると、お金がもらえないと言われても、生き続けると思う。社会的安心感に惹かれているのかもしれない。いや、会社に行くことが習慣になってしまったからかもしれない。別に何も考えずに行く事ができるようになった。もしかしたら、最初のちょっとした動機づけで、勉強をする環境に入ってしまえば、勝手にいい大学に行くのかもしれない。そこまで、自分の意思は、自分の人生に作用していないのか。ぼくも今毎日、本を読んで、文章を書いているが、その時に「やりたい!」と思ってからやっているわけではない。もう習慣にすることができたから、やっているのだ。ぼくが偏差値の高い大学に入れなかったのは、中学校卒業とともに塾を辞めてしまい、勉強する習慣をなくしてしまったからだと思う。ということは、自分が何か目標があった時には、それに向けた正しい習慣を作り出すことができれば、何も考えずとも自分の目標に達成できるのではないか。これからの人生で、実証していきたいと思う。

11月14日

今日は昼ごはんに麺350gのまぜそばを食べた。マヨネーズがダーッとお好み焼きにかけるようにかかって、ニンニクもレンゲ一杯くらいあって、とても食べ応えのあるラーメンだった。午後から勤務があったのだが、遠慮せずにわがままにニンニクを食べてやった。午後はマスクを外す事ができなかった。いっぱい食べることのできる男性が素敵だという感覚がとてもわかる。だが、周りが男だけで、気にすることがないときはガッツいて食べれるので、満腹中枢が上がる前に丸呑みして食べる事ができるが、好きな人の前だとそうは問屋が下さない。綺麗に清潔に食べたくなってしまう。そうすると、よく噛んでゆっくり食べることになるので、大盛りを注文すると残すことになってしまう。残すことは最悪だ。一番悪い印象を与えてしまう。女性とご飯を食べる時には、最小の量を食べることにする。これは肝に銘じていよう。さて、今日は同期の良いところを再認識した。田舎の街出身の子で、いつもニコニコしている。彼のニコニコしている顔を見ると、こちらまでにこやかな微笑ましい気持ちになる。優しい気持ちになる。彼には恋人がいるのだが、とても幸せだろうなと思う。ぼくは無表情なことが多い。「笑った顔の方がいいよ」と言われることはあるのだが、父親に似てしまったのか、なかなか表情を崩す事ができない。だがそれでは、周りの人にも余計な緊張感を与えてしまうと思う。彼に見習って、ぼくもできれば常に柔らかい、優しい顔をして、周りの人をリラックスした気持ちにしてあげたいと思うようになった。その表情がぼくに似合わないということはないと思いたい。仕事が終わってから、叔母の家にを三ヶ月ぶりに訪ねた。いとこ二人と祖母と妹と叔父さんがいた。みんなでご飯を食べて楽しい時間を過ごした。ぼくはこの人たちがすごく好きだ。一緒にいて一番楽しく、落ち着くことができる。この人たちがいなかったら、いまの幸せな自分はいないと思っている。お酒も飲んで楽しくなってきた頃、中学校二年のいとこが数学の一次関数を教えて惜しいとお願いしてくれた。とても嬉しかった。彼女からお願い事をされるのがとても嬉しい。ぼくは中学校の勉強はできる。しっかり教える事ができた。変化の割合や切片のことをしっかりと知識だけではなくて、意味まで説明する事ができた。理屈もしっかり覚えていた。ただ、教えるというのはとても難しく感じた。わかりやすいように教えてあげることが難しい。なんで?ということに答えてあげられないと、相手は理解する事ができない。いとこに教えていて、ぼくが中学校の勉強ができていたのは、単なる暗記だけでなく、なんでそうなるのか、原理や根拠、本質をしっかりと捉えることができていたからだということに気づくことができた。ということは、今の仕事においても、単なる暗記をしていてはなんの意味もない。原理や根拠、本質を追求することに力を注がないと、後で無駄な時間になってしまう。来週からは、なんで?という自分の疑問を大切にして、学習をしていく。高校や大学になると学習することが多く、本質まで勉強する事ができなかった。教えてもらっても、理解する事ができなかった。今高校生に戻って勉強したと思ったら、どんなふうに勉強して、どんな結果が出るのか気になる。自分で赤本を買って、勉強すればいいのだろうが、物書きをしたいため、そんな時間は取れない。

11月15日

今日は、祖母と妹とお出かけをした。紅葉を見に行った。渓谷を見た。ラーメンを食べた。草野心平文学館に行った。そこでたくさんの詩と出会うことができた。ぼくは詩がとても気になっているのだが、さっぱり良さが分からず、もどかしい思いをしている。麻雀やスロットと同じで、勉強しないと面白く感じることが難しいものだと思っている。他にも、勉強しないと面白くないものってなんだろう。その文学館に詩を書いてみるという体験コーナーがあった。原稿用紙と鉛筆が二本置いてあった。ぼくはそれにすぐに食いつき、書いてみることにした。一度も書いてみたことがなかった。書いて見れば、詩を書いている人の気持ちが少しでもわかるきがしたのだ。山を視野に入れながら、書いてみると、ブログを書いている時よりもより抽象的に自分の思ったことをそのまま書けると感じた。生物、LIVEだと感じた。だから、他の人が書いたものをなかなか理解することができないのだ。こちらの想像力が、小説を読む時よりも多く必要とされる。ぼくにはまだ詩を楽しむことのできる想像力が足りていない事がわかった。大きな一歩を踏み出す事ができた。小説をたくさん読んで、想像力を養っていけば、いつの日か詩を面白く楽しむことができる。まだまだ道のりは長くなりそうだ。後B’zの最新アルバムを買った。ドライブしながらずっと聞いていたのだが、曲を聴いていて目頭が熱くなった。なぜかは言葉にならない。懐かしさを感じた時のような、人からの信頼を感じた時のような、人のさりげない優しさに触れた時のような感覚に似ていた。B’zは最高のグループだ。ぼくも自分の書いたことで、人にそのような感覚を与えることができるようになりたいと思った。

11月16日

今日はバスに乗って仙台に帰った。バスで本を読むながら、いろいろなことを考えた。恋愛小説を読みながら、友人のことを考えた。社会人になり、友人たちとの距離がどんどん離れていくように勝手に感じている。会う頻度が減っているからだ。会わなくてもお互い生活していくことができるとわかってしまう。大学時代の友人とは一人を除いて全く合わなくなってしまった。今まで高校、大学と進んでそれまでの友人と会わなくなるという状態とは今回はまた違う。今は会社に行っていても、新しい友人を作ることが難しい。素敵な人だと思っても、一緒に仕事をしているのが基本だと、どうしても友達という感覚にはなれないのだ。これは自分の気持ち次第なのだろうか。もしかしたら、外に出て友人を作る努力をすればいいのだろうか。そうしても毎日会うような関係にはなれない。高校や大学では友人に毎日会う事ができた。自分は一人でも生活していける人間だと思っていたが、案外人と関わっていないと満足した人生は送っていけないのかもしれない。本当は毎日のように友人に会いたいのだ。職場で友人と会い続けることのできる、飲食店、飲み屋だと楽しく生活していけるのかもしれない。(これを居酒屋で働いている友人に相談してみよう。その彼女は毎日楽しく生活しているように見受けられる)一人時間も充実している。結局は一人なのだ。自分の中でこの二つの人格が交換して出てくる。どうしたらいいんだろう。何が満足していないんだろう。毎日恋人に会いたい。一人じゃないと、お金の消費も増えてしまうし、読書や書くことの時間が減ってしまう。どちらを取りたいかという話だ。今は読書や書くことの時間をとりたい。でもそれでも会いたい友人がいる。でもその友人にはまだ少し恋愛感情を混じらせてしまっている。これがまずダメだ。絶対付き合うことはないと言われたのだから、完全に消しきって会うようにしなければ。自分が彼女を作るのに適していないような気もしてしまう。自分が本当に求めていないからだと思う。結婚をして、子供に恵まれて、子育てをしたいが、今は物書きで飯を食っていくということを実現したい。ブログにおいて、インプレション数はただ記事を見てもらった数に過ぎないから、まずクリック数を増やさなければならない。まず、いい記事を書いて、広告を貼る記事を増やさないと何も始まらない。30歳になって恋人がいる状況がいいか、物書きで100円でも稼げている状況がいいか。後者がいい。前者はいくらでもいるが、後者は圧倒的に少ないと思う。だったらぼくは少ない方を目指す。よし、この意志を貫こうじゃないか。たまに寂しさを感じてしまうことはあるが、それは1物書きで金を稼ぐために、頑張る時間を取れている状態だと思うようにしよう。なんでもポジティブに前向きに考えよう。やってやろじゃないか。やることは、良質な記事を書く。広告を貼る。クリック数をあげる。そのためには、Facebookやインスタ、Xをしっかりと運用する。尖った時間の使い方をしないと普通なまま終わってしまう。それは嫌だ。じゃあ何かは犠牲にしなければならない。喫茶店にパイプを吸っている人と、葉巻を吸っている人がいた。かっこいい。ただ匂いが独特で、あまり好きな匂いではない。

11月17日

今日は両親と電話をした。久しぶりに話してみると楽しいと感じた。楽しいというのは両親の優しさを話している節々からふわっと感じる瞬間が何度もり、自分のことを好いていてくれているということがわかった安心感である。明日は好きな人とあう。この好きな人と呼んでいることも良くないと思う。自分で勝手に暗示をかけてしまうからである。どんどん深みに行ってしまう。抑えよう。ぼくは彼女と友人の関係だけでいないといけないのだ。こちらが少しでも恋愛感情をつらつかせてしまうと彼女を悲しませてしまうことになるのだ。ダメなものはダメなのだ。いつまでもぐずぐずしているのはつまらない。すっきりさっぱりしていよう。大事な気持ちはしまっておこう。彼女と話すと、彼女の恋愛話を聞かされる羽目になるかもしれない。それをドーンと聞いてあげようじゃないか。彼女にイラッとすることもあるだろう。今までは喧嘩をしてきたが、それもつまらない。明日は娘と会うような気持ちで穏やかにいようと思う。また楽しみな時間がきてしまった。終わった後のことを考えると辛いが、深く考えないようにしよう。明るく、お互いに楽しもうじゃないか。

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