高橋和巳 現代の青春

こんばんは。けんちゃんです。三連休で神田神保町の古本屋街で高橋和巳の「現代の青春」という本に出会いました。この旺文社文庫の表紙にも惹かれました。青を基調とした背景に綺麗な満月が描かれていて、その月も黄色ではなく、青と紫の色鉛筆で、何回も円をガリガリと描きながら塗ったような感じなのです。深い夜の月でとても綺麗で書いました。この本を読んだ感想を書いていきます。

(出典:高橋和巳「現代の青春」引用元:)

私たち若い世代は一体何を〈核〉とすればよいのか。はげしい絶望もなければ、そのために命を投げ出してもいいと感ずる理想もない、と…悲劇的でも喜劇的でもない日常の中に、だれが、どういうすばらしい劇を掘り当てるか。…(出典:高橋和巳「現代の青春」引用元:p13)

僕たちよりもずっと前の世代の人が、僕たちのように、「平和で退屈な世の中だ」と感じていることに驚いた。戦時中などの人以外は、そういった平和な世の中に退屈を感じてしまうものなのかもしれない。ぼく自身も命をかけて何かに打ち込みたいという気持ちはあるのだが、どうも現実的、リアルな言葉にならない。交通事故以外では死を意識することが全くないのだ。死に関する焦燥感が少ない。それは寿命が延びていることも関係していると思う。そんな中で大事なことを筆者は教えてくれている。それは日常に隠れているというのだ。ぼくはこれを、「感じ方や捉え方は自分次第だ」ということを言っていると感じた。その時、高杉晋作の「おもしろき、こともなき世を、おもしろく」という言葉を思い出した。これはぼくの大好きな言葉のひとつだ。面白いことなんてないと思われる世の中だけれど、自分の気持ち次第で面白いものにしてやろう。日々の繰り返しの中から、いろいろなものをよく観察して、面白いものにしていきたい。もっと五感を広げて、些細なことも感じ取ることができるようになりたい。そう思える文章だった。

…あるストイックな壁がなければ、事は成熟しないのである。現在はそのストイックな壁を外から与えられるのではなく、自分でつくるべき時代なのであろう。いかに素早く、うまく、自らに課する戒律を自分でつくりあげるか。それは外から禁忌を与えることよりも、むしろ困難な作業だと思われる。むしろ現代の青年こそ同情すべきなのかもしれぬ。(出典:高橋和巳「現代の青春」引用元:p20)

今の若い世代に行っているわけではなく、ぼくの父親の世代に行っている時代の話だ。それが、今の僕らの世代にもしっかり当てはまっている。もしかしたら、昔からずっとドンドンと甘くなっていってるのかもしれない。この人から戒律を与えられなくなる現象はいつまで続くのだろうか。パワハラ、パワハラと言われて、上司は部下にきつく指導する事ができない。これは学校などでもそうなのだろう。だが、今の学生が昔の学生よりも学力が下がっているのかと言われるとそうではないと思う(AIに聞いてみると、優劣ということではなく、スキルのシフトだということだ。とても納得する事ができた。できることの種類が変わっているんだ。厳しくされて優れる分野と厳しくされずに優れていく分野があるのだ)それならば、自分に厳しくする必要なんてあるのだろうか。今に合わない、昔の優れる分野にしか成長していかなくなってしまうのではないか。そうではない、厳しい戒律で育てることのできる技術は、「知識の正確な習得」、「集中力の持続」、「規律性」である。これを現代に求められていることに向ければいいんだ。基礎体力のようなものに感じる。この基礎体力を「情報分析」、「問題発見」、「新しい価値創造」に生かしていけばいいのだ。自分にできる事は、自分に厳しくして集中力を向上させる。そして、AI技術をうまく利用する。自分が体験したことや、感じた事は丁寧に文章に書き。それをAIに添削してもらって、読者の人が読みやすく、もっと記事を読んでもらえるように編集して貰えばいい。今思ったが、友人に自分の文章を見てもらっていたのを、AIにやってもらえればいいんだ。青天の霹靂だ。瞳孔がぐっと縮んだ。

もっとも、愛というものは、人が〈権力〉に対抗すべき最後の砦なのですが、同時に何もせぬことをも正当化しますので…(出典:高橋和巳「現代の青春」引用元:p44)

確かに愛を元になんでも許してしまおうとする気持ちがぼくにもある。高校からの友人が女の子と付き合っている。その子は24歳で仕事をしていたのだが、付き合って半年経った時に仕事を辞めてしまった。そして、今では彼は彼女の生活費、家賃を支払っている。月に10万以上の異常な支出である。この話を聞いた時に、「なんて馬鹿なことをしているんだ、、」と思った一方で「自分も好きな人だったらなんでもしてしまうかもしれない、、」とも考えた。こんなことも愛で正当化してしまうなんて。愛とはとても恐ろしい砦である。クッパ城だ。

中区に立ちて以て玄覧し、情志を典墳に頤う:宇宙の奥深さや、万物の本質を静かに見つめて深く考え、自分の感情や志を、古代の偉大な書物から得て育む。

当時友人の一人に一冊の本を読みきれば、その理解したところを見事に要約してみせねばやまない〈要約魔〉がいて、電車の中や街頭で彼の的確精密な要約を聞きながら、しばしば自分の読書の仕方に対するある後ろめたさの念におそわれたものである。(出典:高橋和巳「現代の青春」引用元:p56)

わからなかった言葉

差失:失敗のこと。銀シャリ:白米。シャリ:舎利はお釈迦様の遺骨を意味し、その白くて細かな形が米粒に似ていることから、米の隠語として使われるようになった。Travail:苦労。travelの語源はここからきている。中世ラテン語だと「拷問」の意味もある。スパルタ:その語源は古代ギリシャに存在した強力な都市国家(ポリス)の名前であった。この街が軍事的な規律が厳しく、国民全てが兵士として生活する過酷な体制であったことから、「極めて厳格な様」を「スパルタ」と言うようになった。

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