凍りのくじら 辻村深月

買った覚えも借りた覚えも無い本がカバンに入っていた。こんなことは初めてだった。おばさんの家で酒を飲んだ時に借りたのだろうか。

でもこういう出会い方はすごいいいと思った。自分が普段買わないような本を読むことができる。そして,読んでみるとすごく面白い。

今回はこの本を読んで感じたことを書く。

まず主人公は読書が好きな高校生の女の子。どこか冷めているところがあり,同級生をしてに見ているところがある。

6歳上の司法試験合格を目指す大学生と付き合ったことがあったり,同級生からアプローチされても冷静に今まで知り合ってきた男と比較したりしている。

第一印象は少し嫌な女だ。

そんな彼女はドラえもんが好きだ。藤子先生と呼び。先生の「SFとは少し不思議な世界」と表現したところに深く感銘を受けている。それから,相手をSFで認知するようになった。自分自身は少し不在としている。

(他人から見たら自分は少し不快だと思う)

父親は有名な写真家だった。彼も藤子先生に影響を受けており,彼のようにたくさんの素晴らしい作品を世に送り出すことに尊敬の念を感じていた。

藤子先生がドラえもんを作り出した年齢まで自分も全力で頑張るという木方を立てていた。しかし,その年に癌が見つかった。そして,彼女の前から姿を消した。

母親も入院中である。

そして,男性と出会った。その人は今まで知り合ってきた男性とはどこか違う雰囲気を醸し出している。彼と関わっているうちに彼も幼い頃に父が家を出て行ってしまった。父親が出て行く時には「必ず帰ってくるから待っていてくれ」と言われた。

彼女は父親が失踪する時に「僕のことは待っていなくていいから」と言われた。どちらが辛いのだろうと考えるシーンもある。

(僕だったら待っていてくれと言われるといつまでも心の中にしこりのようなものが残ってしまうと思うから,僕のことは待っていなくていいと言われた方がましだと思う。昨日友人と同じような話をした。親がいないのと親がいるのではどちらが幸福なんだろうかと。僕は今自由になりたいという理由だけからいなくてもいいんじゃ無いかととても親不孝ものの考え方をしてる。その友人も親がどっちもいるだけで幸せだよねという考え方は嫌いと言っていた。でもこんなことは親がいない人の前では決して言えない無神経なことだと思う。とにかく無いものねだりなんだろう。)

付き合っていた6歳上の彼氏と久しぶりに再開した時に付き合ったといには一度ももらったことのないプレゼントをもらった。しかし,そのプレゼントを入れていたのは持ち手のところが破れたラッピングもされていない使い古しの紙袋だった。しかも中身はスロットで勝って手に入れたというお菓子だった。

(最低だ。でも自分も何回もこのようなことをしたことがある。好きな人に沖縄からパンを買って行った時もぐしゃぐしゃのスーパーの袋に入れてカバンの中に押し込んで入れていたためにぐちゃぐちゃになったパンを渡した。その時の自分は「君のために君の好きなものをいっぱい勝って着てあげたんだぞ」ということだけで満足していた。なんて自己中な男なんだろう。

好きな人を初めてレンタカーでドライブに連れて行った時も,午前中は違う女の子と会っていてそのことラブホテルに行った後にそのまま迎えに行くという無神経なことをしてしまった。その時はその好きな人に舐められたくないと思ってそういう雑な扱いをしてしまった。その時ファミレスに行った時に彼女の機嫌が悪かった。その時はなぜだか全然わからなかったが,今となってはそういう扱いが嫌だったのかもしれない。なんて無神経な男なんだろう。

彼女とドライブした時もそうだ。彼女は眠そうにしているのに私の運転が荒く何度も彼女を起こしてしまった。運転も彼女が隣に乗っているとすごく下手くそになってしまう。なんてダメな男なんだ。デートする相手が気になる人なら気になるだけ緊張してなのかミスをしてしまう。難しいところである。

手紙をあげた時もそうだった。ただ服のポケットに入れただけでその服も地面に置いていた。そのまま彼女に渡した。喜んでもらえるわけがない。

池波正太郎の本にプレゼントをするときは何を送るかよりも送る時の包装や渡し方のディティールにこだわると書いてあった。青天の霹靂のような気持ちだった。

それから女性にプレゼントをするときは渡し方にこだわるようになった。

(こういう風な時に本を読んで色んな人の考えを知るのは大事だなと感じる)

この本を読んで男と女の付き合い方について考えさせられることが多く合った。

初めて知ったことば

日がな一日:一日中(例:日がな一日中読書をして過ごす)

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