小説新論 田山花袋を読んだ

こんにちは。けんちゃんです。

今回は小説新論、田山花袋を読みました。

私は人に感動を与えられるような、物書きになりたいので、この本を読んでみることにしました。

私は小説を書こうという気はまだないのですが、書き物をする際に参考になる部分があればいいな、と思い、読むことにしました。

読んで感じた印象は、硬い、でもなんとなく優しい。厳しい言い方ではなく、広い視点で論述してくれています。

私のような素人でも、小説を少し書いてみたくなるような本です。

感動した部分

①小説志願者は、図書館に月日を送ることを第一としなければならない。で、そこであらゆる本を読む。漢文の文集詩集も読めば、歴史も読む、経書も読む。かと思うと、近松、西鶴のものも読む。小説も読む。法律の判決例なども読む。紀行文も読む。そしてそれ絵を一々自分の頭に入れておく。少しくらい忘れても、一度読んだものは実際に当たると思い出してくるものであるから、そう残らず覚えていないっても好いが、とにかく読むには読んでおく。

②どんな本でもいい。自分の好きなものを読んでいい。いかなる意味においても小説志願者の青年時代には、読書が尤も肝心である。

③一番先に観察力を養うことが一番必要である。観察は飽くまで斬新で、そして独創的でなければならない。古人も、読書について『眼光紙背に徹す』(書かれている表面上の文字や内容にとどまらず、その背後にある深い真理や作者の意図、時代背景までをも見抜くほど、深く読み取ることのたとえ)という言葉を使っているが、実際、そういうところがなければいけない。

④一事一物、すべてよく目にとめて置く。人々の持った癖とか習慣というものをよく気をつけて見る。自分の母親を観察する時にも、単に自分の母親という以上に、今の時代に生息してい四五十位の女の心持ちとかいうふうにして見る。

⑤世相風俗乃至生活ということは、小説就業者にとって、最も目をつけなければならないことである。

⑥いくら詳しく書いても、書いたばかりでは本当のものが出てこない。絵で言ってみると、どうも絵具を塗ったばかりである。詳しく書いたために、却ってそれに包まれて本当のことが出てこないと言うようなところにだんだん気がついていく。絵の具の塗り方が肝心だと言うことに気がつく。と、もうひと進歩である。続いて省略ということのおろそかにすることができないということにも気がついてくる。

⑦『本当のことをあらはすための省略』かういふ風になつてくる。その頃になると、文章に一種の調子が出てくる。この調子がまたなかなか難しい。何故かといえば、この調子というものがその作者の持った全人格、前期分の隠すところなき『あらはれ』であるからである。作者の気分と心が統一されればされるほど、その調子が調ってくる。

⑧句読の打ち方というものは難しい。作者の持った心と体との発言である。皆それぞれ違っている。そしてこの句読の打ち方から、文章の調子ができていく。(なんてシンプルで面白いんだ。武器が少なくごちゃごちゃしていない。奥ゆかしい。気にしない人にはなんの変化も感じないのだろうが、確かに読みやすさや、分かりやすさが全然違ったものになるのだろう。野球とかサッカーのように上手い下手が数値でわかる業界よりも分かる人にはわかるという、抽象的な物の方が自分は好きだと気づいた。)

自分が感じたこと

①私は、毎日図書館に行っています。最近だと、日本文学、料理の本、恋愛本、歴史小説が好きです。

小説志願者は図書館に月日を送る生活を第一としなければならない、と書かれていて、自分が図らずともできていたことだったので、勝手に褒められたような気分を味わいました。父親が褒めてくれているという話を、会社の同僚の方から聞いた時のような気持ちになりました。さりげなく認めてもらえると、とても嬉しいものです。

このような褒め方をされてから、色々な本を読みたいという気持ちが、より一層強まりました。(実を言うと、一冊の本を穴が開くまで読む方がいいのかと、何かの本を読んで感じていたところで、本の読み方にもよっていました。誰の本だったか、、谷川俊太郎さんの本だった気がする。ドスエフスキーの本を何日もかけて読む、と言うような読書体験もしてみたい。だが私は、一度にさまざまなジャンルの本を借りて、少しずつ回し読みしていかないと、一冊の本では、途中で飽きて、本を読むと言うことをしなくなってしまう。)

近松と西鶴の本(江戸時代を代表する文豪1603−1868年:近松、心中天網島、西鶴は好色五人女を読んでみたいと思う。まだ明治の作品も読めていないから当分先のことになりそうだ。)

②今好きな小説家の方は、日本文学の太宰治(人間失格)、恋愛小説の唯川恵(サマーバレンタイン)、歴史小説の司馬遼太郎(功名が辻)、紀行本の高橋三千綱(猫はときどき旅に出る)です。さまざまなジャンルの本が好きで読んでいます。中でもサマーバレンタインはとても面白くて、感動しました。

③眼光紙背に徹すと言う言葉を初めて知りました。私が目指しているものだったので、胸にストンと落ち、自分の好きな言葉になりました。

④このような考えも、自分には全くないものでした。母を見ていて、上り坂ではないような気がして、胸が痛いというか、憐れむような気持ちになっている自分がいます。とても負のオーラを感じるのです。自分一人の世界で充実していて欲しいという願いがあります。これはなぜなのでしょうか。(明日友人に聞いてみようと思います。)母を女性として、観察しようと思うと、なぜだか優しくなれます。客観的に見ると優しくなれると言うことは、まだ母に甘えていると言うことなのかも知れません。とてもいい視点をいただきました。

⑤世俗風俗の理解が自分には足りていないと感じました。知るためには、新聞やNewsPicksを使って行こうと思います。

⑥全くわからない。物事を正確に書くためには、詳細に隠しカニと思っています。しかし、余計なものを書いてしまうとわからなくなってしまいます、できるだけ読んだ人に、自分が感じたことをそのまま感じてもらえるような文章を書いていきたいと思います。

⑦まだ省略を勉強する段階にすらいないような気がします。句読の打ち方が、全然わかっていません。自分の文章が上達した、と実感できるようになる日は来るのでしょうか。(明日上司に見てもらおう。やはり、人に見てもらう実践が必要不可欠だと思う。)

⑧自分を表現できる、句読の打ち方というものを習得したいと思います。

そのためには、たくさんの本を読んで勉強することが必要だと思い、今まで苦手だった、日本文学も読めるようになりました。

作者によって、打ち方が全然違うことがわかりました。

今のところ、一番好きな打ち方をしている人は、太宰治です。かなり短めの分でも句点を打ちます。それが私にはとても読み易く感じるのです。ですから、私も自然と句点を細かく打つようになりました。k

これからもたくさんの人の、読点の打ち方を見て勉強していきたいと思います。

日本の文学の歴史

最初の小説家と認識されているのは、紫式部(源氏物語)。

日本の文学史において、小説というジャンルの定義が明確になったのは明治時代以降であり、坪内逍遥や二葉亭四迷、森鴎外が近代小説を始め、夏目漱石が近代小説を国民的な物へと発展させた。

坪内逍遥が、小説神髄という著書の中で、西洋から来たNovelという新しい文学概念に、古い中国の小説という言葉を当てはめたことから、小説という呼び方が広まっていった。

自分が感じたこと

一事一物、すべてよく目にとめて置く。人々の持った癖とか習慣というものをよく気をつけて見る。自分の母親を観察する時にも、単に自分の母親という以上に、今の時代に生息してい四五十位の女の心持ちとかいうふうにして見る。

図書館の係のおじさんについて観察してみよう。

意識する前の感じ方。

頭は禿げているが、櫛がしっかり通っている。耳が悪いようで、補聴器をつけているが、それでも聞こえにくそうである。メガネをしており、年は70歳に行っているかどうかという感じだ。

文字を丁寧に書き、暇な時にはスマホで動画を見ている。神経質な方であると思う。顔のパーツをよく観察してみたいと思う。

今日は意識してみると、逆に顔が見づらくなってしまった。

今まで意識していない時は、おじさんの視線なんて何にも気にならなかったのに、妙に緊張してしまった。

顔をまじまじと見ることができなかったので、胸元にある、会社の名前だけ覚えることができた。

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